ヴィパッサナー瞑想会の国内瞑想合宿の体験談
瞑想自体、2時間程度が最大、というレベルで合宿に参加したので、
長時間の瞑想をやり切れるのか、という不安はあったものの、
瞑想することでどんな経験が得られるのか、というのも体感として知りたく
力まずに参加しよう、と決めてスタートしました。
「気づき」と「集中」をまずは思い出しながら瞑想に入りましたが、
色々な考えや妄想がどんどん出てきて、思考自体が忙しく、
それに「気づく」こともしていると座っているだけなのに、
なんだか忙しい気持ちでなかなか落ち着けませんでした。
1日目は瞑想する時間自体も少なかったので、
わりとすぐに就寝となりました。
翌朝2日目は鈴の音で起きました。
時計がないので、何時かよく分からないけれども
それほど眠い、という感覚もなく、1日が始まりました。
食べる瞑想は1食分すべてをしたことがなかったので、
量は少なめにしてやってみました。
パンとバナナを朝食にしましたが、
バナナを噛む触感が気持ち悪くて、食べる瞑想の時の食材は
個人的にはパンなど乾いていた方がやりやすいと感じました。
2日目はとにかく、ずっと瞑想、、部屋が寒かったので
まずは瞑想に入れるように自分を居心地よくしたい、
という思いがでてきたり、過去のことが思い出されたりもしましたが、
ある時にふと、自分の内側に集中出来て、
腕が浮いてきた感覚があり、座っているのに地面に接しているお尻の感覚がなく、
思考が出てきてもすぐに消えて、すごくバランスがよい心地よい時間がありました。
個人面談時間に先生にその話をすると、
”その感覚を追いかけないように”、と教えていただき、
自然体で瞑想を続けるようにしました。
しかし、途中では完全に集中が切れて眠気も来て、
中だるみ的な時間も出てきましたが、外が暗くなってきて意外と時間が経っていることを感じました。
日常でも何となく過ごしているとすぐに時間が過ぎてしまうことがよくあるので、
それは勿体ないことをしているな、という気づきにもなりました。
途中でシャワータイムがあったので、
少しリフレッシュをしながら(しかし、気づき続けている状態で)、引き続き瞑想。。
コーヒーを飲んだり、瞑想場所を変えたりしながら、
集中することに気を向けながら過ごしました。
他の方もきっと眠かったり集中出来ない時間もあると思うのに、
ずっと黙って瞑想している姿にも勇気をもらいながら、瞑想を続けました。
心地よい時間は何度か経験できたので、無理せず、夜通しの瞑想はしないで就寝しました。
3日目も鈴の音で目覚めました。
徹夜で瞑想していた方達もいて、本当にすごいなーと思い、
その方達とも合流して朝の瞑想と食べる瞑想をしました。
食べる瞑想はお腹に入った後の感覚を感じていると、
お腹が温かくなり、それほど量を食べなくても身体は満足していることを感じました。
いよいよ瞑想も終盤、というところで
最後は集中した瞑想をしたい、と頭から毛布を被り
完全に自分に集中した状態にして瞑想に入りました。
しばらくして集中が高まると、体が温かくなってきて、
また身体が浮いている感覚になりました。
以前の感覚よりも、もっと身体がなくなり、頭が上に引っ張られて宇宙に飛んでいきそうな、
またもや経験したことのない、思考がなく、ただ「在る」という状態にいてそれに気づいている、
という、なんとも不思議な感覚で瞑想が出来ました。
最高の気持ちで瞑想している時に、とうとう瞑想終了になりました。
時間を気にせずに瞑想に没頭したことは、
辛くもありましたが、とても貴重な体験が出来たと思い、、
参加して良かったと思います。
合宿を終えた今はとても静かな気持ちで過ごせています。
多くの人が瞑想を通じて心の平和を感じられるといいなと思いました。
今回、合宿でご一緒いただいた皆様、ありがとうございました。
また、この合宿を進めてくださった福澤先生にも感謝申し上げます。
2日目の昼食瞑想後のお話です。
2日目の昼以降、午前中はまだ客観的に観察できていた脚の痛みが我慢できなくなってきた。
それを回避するために過去自分を育ててくれた祖母、両親、妻、子供、先生、友達、女の子、会社の部下達、先輩達を対象に慈悲を向けていったら、逆にその人たちの自分に対する慈悲の強さに気づき、圧倒され感情に飲み込まれ涙が溢れ出した。
自分を作ったのはあの人たちだった!
皆に支えられ愛されてきた。
皆何も求めずただじっと見守ってくれていた。
自分が受けた、その慈悲を自分は他者に与えられているのか、情けない感情、傲慢な自分、卑下慢の感情に屈する。戻ったら慈悲喜捨の精神で生きていきます!心の中で叫ぶ。
その後、良い状態が保たれ心も体も落ち着いてくる、だが、まだまだ瞑想は続く。
またまた脚が痛い、それと寒すぎた。だんだん負の感情が湧いてくる。
これ意味あるの?
やりすぎでは?
今何時?後何時間?
気になる仕事のこともどんどん出てくる!
瞋意に覆われる。それに気づきまた自己嫌悪
そもそも瞑想の目的の一つは、恐怖からの脱却、常に穏やかで生きたいし、穏やかに死にたい。
2年間毎日のように瞑想し努力して自分なりに怒りを弱めてきた自信や、いつ死んでも大丈夫そうなんてほざいていたが、この体たらく。普段より長く瞑想しただけで脚の痛みに屈している自分。
体の痛みをただの現象として観察し、心は動じないよう瞑想してきたのに、がっかり。
絶望感のまま、休憩したり、歩いたり、立ったり、また座ったり、休憩、歩く、立つ、座る。。。。。。。。
チリンチリン、ついに就寝時間。
なんとか精神崩壊せずに、もったなと。
落ち着け、しっかりと気づきを持って階段を登り、ゆっくり歯を磨き、一つ一つの動作に集中して枕に頭を乗せ、足を伸ばし仰向けで布団を被る。
で、その時……
今、この文章を書いている時点でもうその時の感覚を上手に伝える言葉を私は知らない。
でも、確かにあの時、布団に入ってから私の意識は完全覚醒していた。
何も妄想が入る隙がない空っぽな状態。
しかし、体の感覚は隅々まである。
体の重さは全くない。
しばらくその状態を観察し、意識的に眠る。
3日目の朝、瞑想に入るとすぐその感覚が戻り、深い瞑想状態に入る
そしてあっという間に終わった。
いろいろな気づきがあり瞑想が更に深化したと思います。
皆様がいたのでやり遂げれたなと感謝いっぱいでした。
この合宿を終えて帰りの電車の中で、やはり人生は悟りを目指すべきだなと思いました
福澤様、誘っていただきありがとうございました!
◆結論:
瞑想を始めた頃に感じた浮遊感や多幸感だったりとか特別な体験はありませんでしたが参加して本当に良かったです。
自身の課題を理解することができました。
◆前置き(瞑想の経験と合宿参加へのきっかけ):
元々マインドフルネス瞑想(サマタ瞑想)を不安軽減のために独自で行っていました。
しかし日々忙しい中で溢れる思考や不安を鎮めるためにはサマタ瞑想では追いつかない実感があり、ヴィパッサナー瞑想を知ることになりました。
昨年6月からヴィパッサナー瞑想を始め、実践瞑想会に6回参加していました。
始めた頃こそ効果を実感した気がしていて仕事の不安感を減らすことができ、以前は精神的に辛くて仕事を休むようなシチュエーションでも仕事に挑戦することができ、成果を増やすことができました。
但し、その裏では成功欲や問題解決欲がとても強くなっていることに気づかずどんどんと仕事を進め燃え尽き症候群になりかけました。ここで「まだまだ気づけていないな」と思い、長時間瞑想できるようになりたい、もっと気づけるようになりたいと思いました。
◆合宿について:
結論としては自身がいかに痛みやストレスに対してすぐに対処しようとしているかに気づくことができました。
また、まだまだヴィパッサナー瞑想をできていないと感じました。
長時間の瞑想の動作「座る」「立つ」「歩く」を長時間行うことが辛いのは想定していましたが、時計がないことが想定外に一番の苦しみだったと思います。
身体中が痛くなったり、瞑想に集中できなければ退屈さが苦しみとなり、いつ終わるか分からないという苦しみが重なりました。
どうにかしたいと思ったときに自然とサマタ瞑想を行い回復をすることがありました。
福澤先生に相談する中で、私は痛みがあるときに自然と反応的に対処してしまう中でサマタ瞑想を使っている事があると分かりました。
言い換えると痛みに向き合えていないことに気づきました。
そこからは痛みや苦しみと共にある感情を観察するように切り替えました。
辛い/痛いときの感情・感覚に集中し過ぎ去るものであることを経験できました。
また、「今すぐ解決したい」、「今すぐ対処したい」という強い欲があることも分かりました。
これが私の苦しみの原因の多くを占めているかもしれないと感じることができました。
◆後日感じたこと箇条書き:
- 仕事中は顕著に、「自身に関わる全てのネガティブ要素を解決したい」という欲があることを改めて実感した。
そしてそれは当然かなわない部分もあるし想定外な問題が降ってくることもある。
私はいつか不完全さを受け入れられるようにならない限り苦しみは続くと思った。 - 日常で思考に囚われているかどうかに気づくスピードが上がっている。
- 日常で身体の堅さに気づくスピードが上がり、ストレッチなどのセルフケアをする回数が増えた。
- 仕事中のチャット通知があれば反射的に見る癖があることに気づく。
見るまでの時間を置いて他の重要な作業に集中することができた。 - 日常で退屈な時にスマホを触ったり間食をする欲は退屈という苦しみから回避するためだと実感する。
そしてその欲も過ぎ去るものである。(負けることもある) - 怒りが減った。怒りは自身の欲から来るものであり、過ぎ去るものであることを実感した。
気づけば良い行動ができることを実感した。 - 「やらないことリスト」を作ってやりたくなったら感覚を観察するようにした。
- ほぼ癖と言って良いくらいに常用している頭痛薬の服用を減らすことができた。
今回、初めてヴィパッサナー瞑想の合宿に参加しました。
最初は、外の音が気になったり、頭の中が思考や雑念でいっぱいになったり、未来のことを空想してしまったりと、なかなか落ち着かない時間が続きました。「気づく」とはどういうことなのか分からなくなる瞬間もあり、さまざまな感情に揺さぶられていました。
しばらくそうした時間を過ごすうちに、少しずつ感情の中に入り込むのではなく、「その状態を見ている」という感覚がつかめてきたように感じました。
ちょうどその頃に福澤先生との面談があり、瞑想が思うように進まないと感じていたことをお話ししました。先生は肯定も否定もせず、起きていることをそのまま受け止めてくださり、そのおかげで自分に起きていることをより客観的に見ることができ、今の自分に必要なアドバイスもいただけました。
その後は、少し楽な気持ちで自分と向き合えるようになったと思います。瞑想を通して、自分の思考や感情のクセにも気づくことができました。私の場合は、すぐに飽きて次へ進もうとすることや、あれもこれも手を出したくなる傾向です。日常では見ないふりをしていたこうした傾向も、静かに観察していくことで「自分を受け入れる」ことにつながるのだと実感しました。
何かが劇的に解決するわけではありませんが、自分を知ることそのものが大切な一歩なのだと思います。頭で理解するのではなく、実際に体験を通して確かめること。その積み重ねが自分の力になるのだと感じました。
合宿後も、ここで得た感覚を日常につなげていきたいと思い、(長い時間ではありませんが)瞑想を続けています。五戒を守ることも意識しています。特に「嘘をつかないこと」。それは他者に対してだけでなく、自分自身に正直でいることでもあると、あらためて感じています。
一人ではなかなか体験できない長時間の瞑想に取り組めたこと、そして静かに自分と向き合う時間を持てたことに、心から感謝しています。次回も参加を希望します!
ありがとうございました。
今回で参加は4回目になりますが、初めて土曜の夜を一睡もせずに瞑想をやり切ることができました。大きな達成感がありました。寝ずに続けられたのは、自分の力だけでなく、コーヒーや浄水器を皆のために用意してくださった方々の支えがあってこそだと感じています。
その徹夜瞑想の最中、深夜にふと、封じ込めていた過去の記憶が、まるで蓋が外れたかのように走馬灯のように流れてきました。挫折や、ある意味で逃げ出した経験など、これまで直視したくなくて封印していた出来事です。今回はそれらに感情的に飲み込まれることなく、ただ対象として静かに観察し、向き合うことができました。
その体験を通じて、これまでの自分の人生をあらためて捉え直し、過去の出来事も含めて受け止め、受け入れたうえでこれからを生きていけるような感覚が得られました。
記憶が一通り浮かんだ後は、むしろ思考は静まり、残ったのは足の痛みや強い眠気といった身体感覚でした。朝までは長く、正直かなり辛い時間でしたが、その時間も含めてやり切れたことは、自分にとって大きな意味を持つ経験になりました。
一方で、朝の鐘の音を聞いた瞬間に達成感から少し気が緩み、その後の食べる瞑想では焦りが出てしまい、やや駆け足で食事をしてしまいました。最後まで集中を保つことの難しさと、油断の怖さを実感しました。
食べる瞑想では、一口ごとに身体の動きや意思の働きを観察しました。意識して噛む動作もあれば、唾液が自然に分泌されるといった、自分ではコントロールできない身体の反応もある。そうした事実をありのままに見ることは、妄想ではなく現実を見るとはどういうことかと改めて学びました。
また序盤は他の参加者の座布団の敷き方や視線などが気になっていました。自分は普段から、他人の所作を基準に判断している面があるのだと気づきました。小さな発見ではありますが、今後は人に合わせる前に、自分の基準で考え、選択する姿勢をより大切にしていきたいと思います。
あらためて、このような貴重な気づきを得られる瞑想の場をつくってくださった福澤先生、そして共に瞑想に取り組んだ参加者の皆さまに、心から感謝いたします。ありがとうございました。
私は瞑想をいつも、正直よくわからないままやっていました。が、この合宿でやっとやり方を掴んだ気がします。場を作ってくださった福澤さん、皆さんに感謝です。
福澤さんの「監視カメラで見るように」のひと言で、私は胸にモニター室があって、小さな私(意識?)がたくさんの画面を観ているのを想像しました。「痒み」や「雑念」だったり。そこで気づいたのは目立つ画像を見ると、モニター室を飛び出して、わざわざ巻き込まれに行っていた事。次また目立つ所へ直行、そもそもモニター室にいなかった。
人の話も引き込まれるとまさに「気を取られ」ます。
福澤さん曰く「(自分の中に留まったまま)耳で聴くんです」と。自分を中に置いて聴くと、耳という器官で聴いている感覚になるし、痒みも不快感に飲み込まれず体の一部で起きていると観察できます。
瞑想の前提、自分の中に居る事。外にいると気付いたら戻る。油断しないように、、、
まずは福澤先生と参加者の皆様に感謝です。
私は実践瞑想会に数回参加したのみで数時間以上の瞑想をしたことがほとんどないまま、(食べる瞑想で最後まで食べ切る経験に強い興味があり)合宿に参加しました。
2日目の朝昼、3日目の朝昼と4回行われる食べる瞑想では、いつもと違う満腹感を味わうことができました。生活の中ではなるべく早く食べることが優先されて、一口一口を、見る→匂いを嗅ぐ→口を開ける→口に含む→手を下ろす→舌で触る→噛む→飲み込む→飲み込んだものが胃までいくのを感じることができていませんでした。
周りの方と一緒に食べる瞑想を取り組むことで、一口一口が胃の中で地層のように積み重なって行って、いつもより少ない食事量で満腹感を強く感じました。
合宿で、スマホや時計を見ない生活を送ることによって、日頃はスマホやAIの情報に翻弄されて外に目を向けすぎて情報の多さに胃もたれしていたことに気づきました。いつでもどこでも質問できるAIに答えをもらえる環境にいることによって、自分自身の中に本来ある自分の答え、自分の考えを見ないふりしてありのままを見ないことが続き、五力を弱めてしまっていました。
外に答えを求めすぎて、自分の中を見るのを忘れていました。自分の中をじっくり見るだけで、こんなにいろんな気づきがあったんだなとびっくりしました。
他の人がいないと思って過ごす、聖なる沈黙の中で自分の中の対話を進める、という特殊な環境で3日間の合宿を過ごせたことがとてもありがたかったです。
私は、他人からどう思われるか?が気になってしまい人に合わせてしまったり、よく思われようと嘘ついたりしてしまうのが悩みです。
合宿に参加するまでは、「なんで私は周りに合わせて動けないんだろう?」「なんで私はこんなにダメなんだろう?」「なんでやる気が出ないんだろう?」「なんで私はこんなちっぽけなことに悩み続けているんだろう?」「なんで私は関東にきたのにこんなに無気力なんだろう?」と悩みとその感情を何重にも「こうであらねばいけない」という硬いべき思考でコーティングしていたけれど、今はそれが取っ払われて、スッキリしています。
瞑想中、なんども感情に囚われて巻き込まれてしまうことがあったけど、その都度気づいて体の感覚に戻ってきて別のものに集中することで巻き込まれるのを止めることができたと福澤さんに伝えたところ「それはサマタのやり方だから、最後まで見ることが大切」と言ってもらいました。今後は、囚われつつも最後まで感情を観察する練習を意識して瞑想していきたいです。
2日目(土曜日)の朝までは、瞑想をしても雑念が多く、集中できませんでした。
朝食後、歩く瞑想をしている時に、考えが文字で浮かんできて、それを観察してると消えて、今度は絵が浮かんできました。
さらに絵を観察してると消えて、次は映像(動画のようなもの)が浮かんできました。
映像も観察していると消えて、真っ暗な闇の中にポツンと自分が置かれた感覚になりました音もなく、ただ真っ暗な状態です。その瞬間、自分がこの世の中で独りになったんじゃないかと不安になり、目をあけると、周りの方々は瞑想をされていたので、安堵しました。
この感覚は今まで感じたことがなく、かなり瞑想に集中できてたのかなと思います。
それからは、歩く瞑想、立つ瞑想、座る瞑想でそれぞれ集中でき、多幸感にあふれました。
ただ、お手洗いに行きたくなって、瞑想に戻った時に、集中することが難しくなった事で、お手洗いに行く行動に集中できていなかったのだと気づきました。どうしても日常の動作(お手洗い、歯磨き、シャワー等)の時に、他の事を考えて、その動作に集中しきれていなのに気づきました。
合宿が終わっても、1つ1つの動作に集中するよう心がけます。
また、次回合宿の機会があれば、今度は夜通し瞑想に挑戦したいと思います。
ありがとうございました!
今回、2泊3日の瞑想合宿に参加させていただきました。
企画いただいた福澤さんには、深く感謝申し上げます。
大雪となったため、3日目の朝9時で断念せざるを得なくなってしまったのは若干残念ではありますが、集中と気づきについて、しっかりと集中した瞑想ができたという点では、非常に得るところが大きかったと感じています。
今回の瞑想会においては、福澤さんがいろいろ意図されたところもあったと思うのですが、やはり瞑想会を離れたあと、日常生活の中でいかに集中と気づきを継続し、生かしていくか、そして心の平安を保っていくかという点についても、強く感じ取ることができました。
実際に、今日で合宿から2日経ちましたが、例えば今日午後子どもの声がうるさいと感じてイライラしていた場面があったのですが、その感情に気づくことができるようになり、子どもに怒鳴ったりすることがなくなりました。(気づきながら静かにしなさいといった)とてもシンプルな変化ではありますが、そうした点でも参加してよかったと感じています。
あと長時間、集中したせいで、座りの姿勢もよくなったことも効果として付け加えておきます。
一方で、瞑想は日々継続していかないと、だんだん瞑想を続けるのはやはりしんどくなり、やらなくなってしまうとも感じています。そのため、できる限り今後も継続していきたいと思っています。
今回で5回目の参加となりました。合宿の約1か月前から早起きして1時間瞑想する習慣を整えていたため、心身ともにスムーズに合宿に入ることができました。
長時間の瞑想の中では、これまで未解消だった過去の記憶が浮かび上がり、それに伴う身体感覚をありのままに観察する場面がありました。継続してきた瞑想が、より深い気づきをもたらしてくれることを改めて実感しました。
初日はよく眠れたこともあり、夜通し瞑想を続けましたが、深夜になるにつれて体力と集中力が落ち、十分に深い瞑想を保つことが難しくなりました。振り返ると、無理をせず適度に休息を取ることも大切だったと感じています。
今回の合宿は、これまで参加してきた中でも特に高い気づきと集中を維持できた機会となりました。このような貴重な時間をいただけたことに、心より感謝申し上げます。
貴重な体験をさせていただきありがとうございました。
やはり印象に残っているのは中学生の時の記憶が浮かんできたことです。
当時顧問の先生からの体罰で精神的に萎縮する癖がついてしまって、その癖を改善するために格闘技などを始めたんだとふと繋がりました。本当に漠然とした感覚ですが気持ちが少し軽くなった気がします。
普段瞑想をしている時に思考があまり浮かんでこないのですが、この記憶が出てきたのを切っ掛けに、合宿後も過去の記憶が浮かびやすくなってきました。一つ一つ思い出して整理していくことになるんだと感じています。
普段の瞑想では数十分がせいぜいなので、約2日間もじっくり瞑想する機会は貴重でした。
今回の合宿では、思考や雑念に気づいているとそれらが消えていき、何も生じない静かな時間が訪れることを何度も、長い時間体験することができました。ただ気づいているという状態を保つこと、その実感を得ることができて、とても有意義でした。
また「気づきを保たねばならない」「眠気があってはならない」「何か成果を挙げねばならない」といった「ねばならない」思考や、「集中できていない自分はだめだ」といった自己否定の数々にも気づき、そういった思考や価値観もまた欲にとらわれたものであり、淡々と気づいていれば良いのだと分かってきました。
今まではどうにかこうにか解決したり成長したりしようとする欲にとらわれていましたが、何もしようとせず、湧いた思考感情にただ気づいていればいいんだとわかったことは重要な気づきでした。
2日間もあれば大半の時間は思考雑念や眠気、怠慢が生じてしまいます、もう仕方ないと思って寝たら長い時間寝過ぎてしまったりもします。
それでも粘っていれば、時々集中できる時間帯が訪れ、深い瞑想をすることができます。
そういう貴重な体験が出来るので、合宿参加は非常に意義深いものでした。
合宿のあとに他の参加者の感想を聞いたり、話し合ったりできるのもすごく励みになり、楽しくもありました。
参加をためらっている方は、あれこれ考えず一度チャレンジしてみることを強くおすすめします。
9月6日から8日にかけて参加した瞑想合宿について、今回が4回目の参加となりました。初めて参加した青戸での合宿では、多くの気付きを得て、自分自身が大きく成長したと感じましたが、2回目、3回目と回を重ねるごとにその効果は薄れているように感じていました。しかし、今回の4回目の合宿では再び大きな気付きを得ることができ、非常に充実した時間を過ごすことができました。
合宿での瞑想を通じて最初に感じたのは、自分が不安や悩みのない、満ち足りた状態にいるということでした。さらに瞑想を続けると、初回の合宿で感じた自分の強さや、初回では完全に解消しきれなかったと思われる過去の悲しみが再び浮かび上がってきました。自分に深く影響を与えている要素は、そう簡単には変わらないものだと改めて感じました。
その後の瞑想では、特に何も起こらない静かな状態が続き、「何を観察すべきか?」と疑問が生じました。このことを福澤先生に相談したところ、的確なアドバイスをいただき、新たな人生の指針を見出すことができました。
今回の合宿を通じて、自分自身に感じた変化は、自分の思いや意見を素直に表現できるようになったことです。それにより、自分自身が楽になるだけでなく、他者との良好な関係を築けるようになりました。また、会社で年に一度行われる厚生労働省義務付けのストレスチェックでも、最初の瞑想合宿以降、ストレスの度合いが劇的に改善しています。このストレスチェックのおかげで、瞑想の効果が数値としても実感できるため、今回の合宿後の打ち上げでも他の参加者におすすめしました。
この感想を書いている9月12日現在、合宿から4日が経過していますが、朝目覚めた時から続く「気付いた状態」を今も保ち続けています。これは今までにない変化です。日常生活に戻ってからも、以前よりも力強く、自分らしく進んでいる感覚があり、また一歩成長できたと感じています。
最後に、何度も貴重な指導をしてくださる福澤先生、そして毎回親切にサポートしてくださるSさんに深く感謝申し上げます。
今回3回目の参加でした。
前回、無理に徹夜の瞑想をしようとして、体調を崩してしまいかなりしんどかったので、もう合宿に参加するのは止めようと思っていましたが、ここ数ヶ月忙しく、あまり長時間の瞑想が出来ていなかったので、参加することにしました。
今回は、部屋の時計が外されて、時間に縛られずに瞑想をするということでした。
1日目は何回も「今何時だろう?」と時間を気にしていましたが、2日目は時間をあまり気にしなくなりました。しかし、3日目になって、合宿の終わりが近づいてくると、また時間を気にする自分がいました。すでにその晩の予定、週明けからの予定を思い浮かべている自分がいました。
長時間の瞑想で、久しぶりに「内にいる」感覚に安心感というか、心地よさを感じたり、自分の感情を観察することで、感情に振り回されない自分の自由さを感じたりしましたが、常にそうだった訳ではなく、波があったように思います。
最近、自分の身体の不調の原因が、緊張しやすい体質にあることに気付いたことから、何かのタイミングで緊張したら、緩める、ということを重点的にやってみました。緊張に気付いたら、緩める、気付いたら、緩める、ということを繰り返しました。その結果、リラックスし過ぎて眠たくなる、ということもありましたが...緊張に気付くスピードが少し早くなったような気がします。
毎回思う事ですが、合宿でいちばん好きな時間は、参加者の感想をシェアする時間で、同じヴィパッサナー瞑想をしていても、一人一人取り組んでいる課題が違っていて、皆さん真摯に取り組んでいるのがわかって、それを聞くのがとても励みになるし、感心したりしています。
最後のシェアの時間に先生からお勧めされた、起きてすぐの瞑想は、翌朝から取り組み始めました。
水の中のゴミが沈んでいくように、頭の中のチリが、沈んでクリアになっていくような感覚は、いつもの瞑想よりはっきりしている感覚があります。
最後になりましたが、合宿をアレンジしてご指導くださった福澤先生、一緒に参加された皆様、ありがとうございました。
今回、初めて合宿に参加させていただきました。
福沢先生には、貴重な学びの機会を与えていただいたことにまずはお礼を申し上げます。
また、合宿に参加された13人の皆様とは「聖なる沈黙」にて話すことも目を合わせることさえもありませんでしたが、真摯に瞑想を行うという同じ目的もと、良い波動は伝わっていましたので、私の瞑想でも非常に力強いサポートとなってました。
あらためて、お礼申し上げます。
今回の合宿における自分の学びとしては、自分の深層心理と向き合うことができました。
ヴィッパサナー瞑想で長時間自分と向き合うと、普段の自分がいかに真実から目を背け、仮初めの理由から、真実をごまかしていたのかということがよくわかりました。
長年にわたる自分の信念が、実は偽りだったとうことを、向き合った真の自分から告げられ、悄然と目が覚める思いでした。
厳しく自分を見つめなす良い機会だったと思います。
また、合宿のあとは、自戒の教えに従い、禁酒を継続し、食事は生産者の恵に感謝し、よく咀嚼するようにしております。
それだけで十分に健康になれました。
来年もぜひ参加できればと思います。
ありがとうございました。
今回は合宿に2回目の参加でした。
目標は1、2日目の夜の就寝時間と、食事(食べる瞑想)以外の時間は全て瞑想を試みるというものでした。
これは達成でき嬉しく思っています。
今回の合宿では、これまでの瞑想の経験の中で分かった、集中と気づきの状態を続けるためのコツを用いました。
このコツとは、身体的なことと、心の保ち方、2つの面があります。
これらが功を奏したのか、これまでの人生の中で最長の時間、瞑想を試みることができました。
試みる、という言い方をしているのは、ずっと瞑想状態であったわけではなく、思考にのまれている時間も多くあったからです。また、瞑想が深まった時には、インスピレーションのようなものも生じ、その時は感動しました。
自分1人の力では、このような長時間の瞑想をすることは難しく、瞑想合宿の場を提供いただけたことに感謝しております。
5年前くらいに実践瞑想会に何度か参加したきりで普段気が向いたときに瞑想をする生活でした。
この度合宿のご案内をいただき、初心に帰るつもりで、ブラッシュアップの気持ちで思い切って初めて参加しました。
久しぶりなのに、いきなりの合宿参加で荒修行的な感じでしたが、行こうと思った自分の気持ちが思いがけず出たので、頑張って行きました。
普段20分くらいしか瞑想していないのに、合宿二日目は早朝から夜通しとのことで、不安がありましたが、やろうと思えばできるやろうと思って挑みました。
が 長時間座り慣れてない、歩きなれてない瞑想で2時間くらいになると体が痛かったりしびれてきたりでもぞもぞ体勢を変えるばかりになりました。でも2時間くらいで休憩しながら基本瞑想をしておりました。
夜は絶対無理というくらいきつかったので、12時過ぎに就寝しました。
ですが、普段の20分瞑想とは程遠い気づきが訪れました。やはり長い瞑想は奥底の心の気づきが見えるのだなと思いました。
福澤さんとお久しぶりの再会で、お顔を拝見しなんだかホッと安らぎました。
面談で仕事の悩み相談も聞いてくださって大変ありがたかったです。
いっぱい生い立ちや近況を語ってしまいました。
語ってる間に自分のことが客観的に見れました。
すごくよく分かりました。
瞑想をちょこちょこ普段しているつもりでしたが、寝ないで瞑想するのは到底眠くてきつかったので夜通しやり通せた方のお話を聞くと、全然疲れもなく清々しい充実感でらしたので、とてもうらやましかったです。(後の懇親会でのお話で)
集中できてない時もあきらめないでとにかく続けるのがそれ自体が重要だったなと思いました。
心が早くあきらめていたと思いました。
瞑想は個人個人でみな目標が違うので、出来なかったけど私は私なりに気づきの多い合宿となりまして、この機会を作ってくださり、整えてくださった福澤先生、お手伝いの方本当にありがとうございました。
あとスマホを見ない、時計を見ないというのをやるのは今やってることにとことん向き合うのに本当に重要だと思いましたので、これからも集中して何かやりたいときはそうしようと思いました。
3日間ありがとうございました。
今迄の人生に無い、長時間及び徹夜で瞑想すると言う貴重な体験をさせていただきました。
暗い部屋で歩行瞑想をしながら瞼の裏で、空が白んで夜が明けていくのを感じた時の達成感と、何とか乗り越えられた安堵感は格別なものがありました。
ただ、厳密には昼間ソファで瞑想していた時にいつの間にか寝てしまっていたり(自発的に寝たのではなく、不可抗力と言う事で自分を許しました笑)、また瞑想してる時間より、眠気と身体の痛みを我慢してる方が多い気がしていたので、次回への課題としたいと思います。
いずれにせよ、瞑想に対する自身の向き合いかたと限界を大きく変化、飛躍させてくれた3日間となりました。
最終目標である、解脱・悟りに達せられるよう、
精進していきたいと思います。
今後とも宜しくお願い致します。
今回が瞑想合宿初めての参加でしたので、ずっと瞑想をすることが出来るのかとか朝まで瞑想できるのかという心配はありましたが、自分がどのくらい瞑想出来るか試してみたくて参加しました。
目標としては、やろうと思えば長時間瞑想が出来るという自信をつけて今後継続するモチベーションを高めることと、今まで体験しなかった瞑想での集中状態を体験するとでした。
結果としては2日目のお昼から夕方、深夜から朝に歩く瞑想を長く継続することが出来て長時間瞑想をすることが出来るという自信を持つことができました。ただし、その間の夜については座る瞑想をしていたのですが眠気もありフワフワした感じで集中出来なかった状態になり、もう少し気づきを継続出来ればという反省点はあります。
今まで体験しなかった集中が出来たかということについては、合宿最後の全員で感想を話す時には特別な体験は出来なったと話しましたが、振り返ってみると三、四時間中断なしで瞑想を継続することが2回出来て特に苦痛や飽きは感じなかったので、今までより深い集中が出来たのかなと思ってます。
あとは先生と同じ目的を持つ仲間が居たことによってこのような体験ができたと思うので、みなさまに感謝を感じるとともに、また次があれば行ってみたいと思いました。
今回は2度目の参加でした。前回、夜通しの瞑想のときに、がっつり寝てしまったので、今回は挑戦しようと思って参加しました。ただ、悲しいかな、やはり過敏な自分の体質が災いして、初日あまり眠れず、翌日はすっきりしない感じで、自分の過敏な体質を恨みながら瞑想を続けていました。
2日目の夜、眠気と闘いながら瞑想をしていると、ときどきいつもよりクリアに自分の中が感じられる瞬間があって、これが先生が仰っていた、少し負荷をかけることでよりいつもより深いところへ行ける、ということかな、と思いました。ほんの短い時間だったと思いますが、新鮮な経験でした。そして合宿から帰ってからの瞑想でも、割と短い時間でいつもより深いところへ行けるような感覚があるので、これはその効果かもしれません。
ただ夜通しの瞑想は自分にはとても辛くて、2時半くらいでダウンしてしまいました。それから、今回の合宿で、寝る瞑想を試してみたときに、思考が始まると、首の後ろがキュッと緊張するのに気づき、いつも鍼灸の先生に、首の後ろの緊張が酷いと言われていたので、この癖が原因なのかもしれないと思いました。
3日間、自分にとっては割と辛かったのですが、最後の皆さんの感想を聞いていると、前回一緒だった方々の成長ぶりに感じ入ったり、初めてご一緒した方々とは初めてとは思えない何かを感じたり、また終わってからじわじわと来るものがあったり、濃い3日間でした。
また、今回一人一人の面談にかなり長い時間を割いていただき、自分の過去を遡ることで、見えなかったこと、気付けなかったことに改めて焦点を当てることが出来ました。
導いていいただいた福澤先生、ありがとうございました。
2021年の冬、ヴィパッサナー瞑想に出会いました。今まで実践しています。
今回は3回目の合宿です。1回目(2022年2月)、2回目(2023年2月)のとき、「よし、やるぞ」とやる気満々で参加しました。そして思った以上のいい効果や結果が出ました。普段も毎日ヴィパッサナー瞑想を実践しているため、今回はさらにより深い瞑想ができるんじゃないかと合宿前に予想しましたが、結論から言うと「よい効果」がなかなかでなかったです。合宿終わりのところ、やっと何らかの効果が出たようで、日が経って(感想文を書いているとき、合宿終わって半ヶ月以上も経った)、今は思い出せないです。それでもいいです。
3回目だからかもしれません、緊張感や「頑張る気」がなくて、普段の瞑想と同じく普通にやり過ごしました。多分、普段も瞑想を実践しているから、ようやく瞑想に対する執着、「何か効果がでる」に対する執着が弱くなって、少しは自然にやっていけたんじゃないかと思います。
ただ、一つ印象深いことが残っています。合宿が終わった後のシェアリングタイムで、参加者1人ずつ自分の体験や感想を共有します。皆んなの前に立って話し終わった後、お辞儀をしたり、頷いたりはしない、何のお礼もしない、そのまま皆さんから盛大な拍手を受け止めます。1回目、2回目の合宿では、皆んなを見て盛大な拍手を受け止めるのが恥ずかしくて、早く席に戻りたかったです。多分、ほとんどの参加者はそういう気持ちだったと思います。
今回合宿終わって、他の参加者のシェアリングを聞いて拍手を送ってあげたとき感動しました。「この人、本当に頑張ったなあ(一緒にやったからその難しさが分かる)、すごいなあ」と心からその人の素晴らしさを受け止め、感動して、心からいっぱいの「おめでとう!」を送りしました。
自分の番になってまた1回目や2回目の合宿とあまり変わりなく、まとまっていない感想を共有しました。でも、皆さんから盛大な拍手を受けたとき、なんとなく抵抗なく嬉しく受け止めることができました。驚きました。
多分、心から他人の素晴らしさを認め、受け止めた瞬間、自分の素晴らしさも自然に認め、受け止めたんじゃないかと後から思いました。
また、今回の合宿で福澤先生の素晴らしさも改めて認識させて頂きました。毎回の合宿に先生との面談時間(1対1)が設定されます。今回、参加者に深い瞑想をさせるため、子供頃の話を色々聞かれました。1人1人の話し合いは物語が結構長くて、先生が疲れるじゃないかと思いました。疲れを見せながらも、真剣に話しを聞いてくれた先生を見て、感動して一層敬意を払いました。
ヴィパッサナー瞑想はなんとなく始めて、なんとなくやり続けてきました。なんとなくというのは、頭に明確な理由がなかった、やらないと分からないから、とにかくやり続けました。でも、やり続けられた一つ大きな原因は福澤先生への信頼です。この方なら、騙されたと思ってついてみても良いかもしれません。
2年近くヴィパッサナー瞑想を実践して、もう戻れない、「真相」本当の「自分」を知りたいなら、この道に進んで行くしかないと実感しています。2年近く実践して、ようやく「大人」になり始めて、自ら自分自身に起こしたすべてのことに対し責任を負えるようになって、ようやく「大人」として立ち上げって、1人で歩けるようになりました。福澤先生がおしゃった「信じるな、確かめる」という言葉について、ようやく理解でき、実践できるようになりました。本当に本当に感謝です。
これからもヴィパッサナー瞑想をやり続けます。縁のある方もぜひやってみてください。
実践会には何度か参加させてもらっていますが、合宿は今回初ということで、> 期待と不安の中、参加させてもらいました。いざ合宿が始まると誰とも会話をしてはならないのですが、これがある種異様な雰囲気でありながらも、この”非日常感”により、一層自分の内面への集中が可能となりました。
一日目は夕方~就寝時間の間なので、なんなく終えることが出来ましたが、問題は丸一日取り組む二日目でした。今までやったことのない長時間、ひたすら壁に向かって座り集中/観察し続けるというのは、集中できる時間もありながらも全く集中できていない時間もありました。(ただ、集中できていなくても、すぐ諦めず取組み続けてさえいれば、そのうち集中できる状態に持っていけることがある、というのは学びでした。)
二日目の夜~三日目の朝までは徹夜で瞑想を行います。しかし、朝からすでに十何時間も瞑想していたので、これは非常に困難なものでした。この徹夜の瞑想については、参加前からかなり意気込んでいて、やってやるぞ!という思いがあったのですが、どうも「徹夜」すること自体が目的になってしまい、瞑想自体には全く集中できてなかったな…と、後から振り返って感じました。
三日目の朝はかなり疲弊し、完全に集中を欠いた状態で、「早く帰ってスマホでも見ながらだらだらしたい…」というような思いに支配されていたのですが、朝食後、軽く睡眠をとることでかなり回復することが出来ました。結果、起床後から昼食までの間は一番集中できた時間だったように感じます。
合宿後、沈黙を解いての感想シェアの場は、皆さんの合宿中の思いや体験について伺い知ることのできる大変貴重なものでした。時計確認をなるべくしないというルールのもと、先が見えない中、正直つらいことも多かったのですが、いざ終わりが近づいてくると、名残惜しさを感じていました。
今合宿中は主に座る瞑想を行いました。今までは座って目を閉じそのまま眠りに落ちることも多かったのですが、合宿を通じて、眠りに落ちそうになる自分に気づくことが出来るようになったと思います。おかげで瞑想中に完全に寝落ちすることはなくなりました。
間違いなく貴重な価値ある経験が出来たと実感しているので、次回も機会があれば参加させていただきたいと思います。
先生、共に参加した皆さんのおかげです。
ありがとうございました。
合宿前は忙しい日が続いていて、頭の中でいつも「あれをやらなきゃ」とか「あれもやりたい」などと考えていたからか合宿が始まって日常生活から隔離されたら気が緩んでしまって、瞑想中にすぐ眠くなったり、ぼーっと空想をしたりしてしまいました。
それでも一度だけ、瞑想が深まったと感じる瞬間もありました。呼吸が深くなり、また普段よりも強く感情が湧いてくるような感覚がありました。ただ、そこで「いつもより集中できているかも」と嬉しくなったとたんに集中が途切れてしまいました。
そういうわけで、今回は自分がまだ深く瞑想できていないことを実感させられる合宿となりました。
ふだん家で短時間の瞑想をしている時は、時間が短いぶん集中力も持続しやすいので、自分は瞑想できるようになってきたかなと思っていたんですが。今回の合宿は、自分がどれだけ瞑想できているのかを知る良い機会になったと思います。
目標は長い瞑想ができるようになること。日頃は10分程度の瞑想を可能な日に実施している。ミャンマーでの10日間の合宿を過去に体験したことがありましたが、その時は、1時間瞑想を1日8回実施の内容でしたが、今回のように、時間に制限なく、一度に可能であれば数時間にわたって瞑想を実施するのは初めてで、実際2時間以上実施しえた回数は、3回ほどだったかと思います。
長時間の瞑想にあたっての障害は、長くたち続ける、座り続けることで、腰や足や手に痛みが出てきて、それに耐え続ける時間が長かったです。また、合宿2日目の深夜での瞑想は、やはり眠気との戦いで、集中力や気力がその時間はなかったと振り返ります。
概ね、集中ができ清らかな瞑想は一度もなかった印象ではあった。ただ、福澤先生の合宿中のコメントにあった「過去の事象のフラッシュバックへはその時の思いも含めて事象を眺めてみること」に従い、過去に出会ったいろんな人々の記憶が瞑想中に浮かび、久々に、思い出す人も多かったです。この機会に会ってみようと思えたのも、一つの合宿の収穫だったかもしれません。
加えての合宿の気づきとしては、通常の瞑想、食事中の食べる瞑想中に、世の中のインプットに切り離されて、自分の体や思考に起きていることのみに、意識を置き続けることで、物事に反応する思考から離れ、内省の思考、食事という普段の無意識の行為を見つめる思考は、改めて、瞑想の良い経験だったと思う。
瞑想合宿は初参加でした。
2泊3日の時間を、食事中も含め瞑想し、会話もしない、スマホもみない、時計も基本的にはみない、瞑想に集中するという環境に身を置き、日常では体験できない経験をさせていただきありがとうございました!
自宅ですと、瞑想中に何かネガティブな思考や感情がわいてくると、なかなかそれを見つめずに瞑想を中断してしまうことが多かったのですが、合宿では一日中瞑想する時間がありますので、焦らずそれらの思考や感情を感じる(みつめる)ようとすることができたとおもいます。
また、福澤先生との面談を通して自分が忘れていた過去の出来事や、またそれが今の私の生活や行動パターンに影響しているな、新たな発見もありました。面談をしてからの瞑想ではやはりそれらに関連する思考が多くでてきたとおもいます。
食べる瞑想も、一つのおにぎりとお味噌汁1杯を1時間かけて味わい、普段どれだけ食事の時間を適当に過ごしていたか再認識しました。
また、会話をしないことにより自分の状態が静かになり、より瞑想しやすい状態になるのだなと感じました。そして会話はせずとも夜通し各自がそれぞれの方法で静かに瞑想している仲間の皆さんの姿をみて私もがんばることができました。このような贅沢な瞑想環境を提供してくださった福澤先生ありがとうございました!
今回は3回目の参加でした。
とあることで長らく悩んでおり、解決方法はわかっているものの実行に移せず、合宿に参加する前もそれに絡んだ出来事があったので、どんよりした気分での開始となりました。合宿中もそのことが頭に浮かんできてつい考えてしまい、なかなか集中できませんでした。
2日目の夜は歩く瞑想がかなり調子良かったのですが、最近自宅でいつも横になって瞑想していたせいか途中で腰が痛くなってしまい、2階のベッドで寝る瞑想へ変更しました。
一人になったので最初は気楽な気分でいましたが、少し経って1回のメインの部屋へ戻った時、他の参加者を見てほっとしました。瞑想は自分と向き合うものなので、他の人は気にすべきでないかもしれませんが、仲間がいて良かった、一人ではできないと強く感じました。
3日目も色々考えてしまい、結局今までで一番だめな合宿になってしまったのですが、帰宅途中で悩み解決に向けて行動しようとようやく決意できたので、参加してよかったと思いました。そして自分はまだまだ修行が足りないと痛感したので、次回の合宿はもっとうまくできるよう日々精進します!
・初めて寝ないで瞑想を続けることにチャレンジしてみた。
夜中に疲れ、痛み、眠気、雑念から逃れられずサボりたいと思ったときにも、周りの参加者が頑張っている姿に励まされた。結局寝ないで24時間ずっと畳1畳のスペースに居続け、瞑想を何とか続けられた。自分一人では絶対に出来ない努力をさせてもらえた。
・24時間瞑想に望めた、この事実が後日瞑想会に望む際にも心の支えとなって参加する意思を持ちやすくなった。
・集中できるときもできないときも波のように周期的に変わっていくので、諦めずに瞑想を続けていればまた集中できる時が来る、そういう安心感を持てるようになった。
・普段しない食べる瞑想を1日2回、2日に渡り真剣にやると、これまた新鮮な気づきが多かった。受ける感覚にひたすら集中しながら食べると、味・におい・感触などの事実が感受されるだけで、そこにはおいしいとかまずいとかいった感情・解釈といった妄想が生じることがなかった。普段いかに妄想しながら食べていたのかという気づきを得られた。
・先生との面談時に幼い頃の事に触れることがあり、それがきっかけとなって、親に対する深いわだかまり、怒り、憎しみが残っている事に気づいた。
お陰で自分の心の奥底を正直に認められた。
その気持ちを親に対する手紙(実際には渡さない手紙)として書き殴り、自分の心から吐き出すことで、心が軽くなったのを実感した。
参加2度目になります。
前回と異なり、今回は合宿中に時計を見ないという制約の存在が大きな違いでした。
実際にやってみた結果、私にとってとても辛い制約でした。このことから、普段の生活でどれだけ時間、スケジュールを意識しているかがわかりました。いまこの瞬間を大切にすることの豊かさを、この合宿で少しだけ取り戻せた気がしています。
時間を意識しないおかげで、瞑想には普段より集中できた気がした反面、恒例の徹夜瞑想の後半は辛かったです。どうしても目の前の現実から目をそむけたくなる、なんとかして早く終わらないか画策している自分を見つけることができました。
何度も実感しますが乗り越えることが出来たのは、志を同じくする仲間の存在と、このような貴重な機会をいただいた福澤先生のおかげだと思います。本当にありがとうございました。
・食べる瞑想について
私の中ではこの合宿の中で一番気付きが多かったのが「食べる瞑想」でした。この瞑想を通して、普段我々が、いかにいつも時間に急かされて生きているのかを実感しました。咀嚼するとき、喉の結構奥の方の筋肉まで動いているのに気付きました。
口の中の感覚は、とても敏感で、いま、その食べ物のどの部分をどの方向に噛んでいるのかがわかりました。先生も言われてましたが、私たちの口の器官はそれぞれ本当に良く出来ていて、上下の歯、舌、喉、唾液の分泌などどれをとっても完璧に出来ているのだなぁと思いました。
また、吞み込んだとき、口から鼻腔へ、香りが伝わってくるのもよくわかりました。一気に呑み込むと、胃が待ち受けていて、待ってましたとばかりにそれを消化し始め、そのとき、身体が喜んでいるような気がしました。そして、満腹になったとき、身体がそれをはっきり教えてくれるのがわかりました。通常食べている量より、はるかに少ない量でも満腹になりました。
そして、食べ物に対する感謝、それを作った人、運搬した人、お店に並べて売った人、私の口に入るまでに関わった人すべてに感謝の念が湧きました。もし、全人類が毎回、この食べ方をしたら、食糧危機は起きないのではないかという妄想も湧きました。笑
・瞑想について
正直、初日と2日目は、緊張とそれによる寝不足がたたり、ちっとも集中できませんでした。すぐに妄想が湧いてきて、ある音楽のあるフレーズがずっと頭の中で回ってしまっていました。食べる瞑想で、集中すると消えましたが、しばらくするとまた別の音楽が鳴ってしまうという酷い状態でした。2日目の晩は、徹夜の瞑想のはずが、寝不足のため参加できなかったのが残念です。次回はチャレンジしたいと思います。3日目は前の晩にぐっすり寝て頭の中がすっきり出来たので集中できました。頭の中で音楽も鳴っておらず、ずっと静かなままでした。
・あるがまま、ということ
個別相談で、音に過敏で困っている、という相談をしたとき、音を、「聞きに行かずに耳で聞きなさい」と言われ、その時は何のことかわかりませんでしたが、そのあとの瞑想のときだったか、鳥の鳴き声が聞こえたときに、その音を「聞きに行く」のではなく、音を音として耳(元)で聞くようにしてみると、先生の言ったことがわかるような気がしました。音を何か意味や、自分の感情と結びつけるのではなく、ただの「音」として聞くということ、あるがままを見る(この場合は聞くですが)ってこういうことなのかな、と思いました。思えば、私は常にアンテナを張って、何かを「聞きに行く」ことをしていたのだな、と気付きました。
最後、皆さんの感想を聞いて、ヴィパッサナーという同じ目的で参加しているけど、一人ひとりの課題や取り組み方はひとそれぞれで、そのため先生による個別指導がとても重要なんだと思いました。おそらくこの個別指導がヴィパッサナーを教えることを難しくしているのだろうと実感しました。そして、私たちが福澤先生の個別指導を受けられることは、なんてラッキーなんだろうと改めて思いました。
・合宿を終えて
日常生活に戻ってみると、さっそく「集中していない自分」に気付いてしまいました。何か動作をしているとき、その動作とは何の関係もないことを頭の中で考えていました。
歯を磨いているのに、頭の中では明日のことを考えている。歯を磨いているときは、歯ブラシを持った手と、それが当たっている歯や歯茎、歯磨きの匂いや味、泡立っている様子、唾液が出ている様子などに集中すべきが、頭の中は明日の仕事のことを考えている。幼い子供が初めての事を学ぶ時のように、その動作に集中するよう、これからは「なるべく」していきたいと思いました。そして、それが出来ているときは、身体が「安心している」ような気がしました。逆に出来ていないときは、どこか不安を訴えているように感じました。いま、ここ、に集中すること、動作と思考が乖離しないことが大事なんだな、と思いました。
最後に、今回の合宿を組み立てていただいた先生、Sさん、合宿中は言葉も交わさず、目も合わさないけれど、お互い気持ちよく過ごせるよう配慮していただいた参加者の皆様に感謝します。ありがとうございました。そしてこの合宿に参加するために持っていく食べ物を作ってくれたり、家のことや猫の世話をしてくれた夫にも感謝します。
今回は2回目の参加でした。私はネガティブでつい悲観的なことを考えてしまうのですが、最近は"それを考えている自分"に気付けるようになりました。
合宿中も嫌な事を思い出し、その度に感情を抑えようとするのではなく(そもそも抑えられない)気付けば良いんだと自分に言い聞かせ、気づき、ただ観察するようにしました。とは言っても感情が暴走することは何度もありましたが、合宿中にふと「この事を考えるのに1日のどれだけの時間を無駄にしてるんだろう」と思い、これは今までにない感覚でした。
前回と比べると、他の参加者があまり気になりませんでした。前回は他の人を見て、この人がこの瞑想をやってるから私もしたほうがいいんじゃないかとか、隣の人が食べ終わったから私も早く食べたほうがいいんだろうか、と考えたりしましたが、今回は比較的自分のペースで行動できました。かと言って他の参加者の存在がなかったわけではなく、週末に自宅で朝から晩まで瞑想しようと思っても絶対に無理で、同じ仲間がいたから3日間頑張れたとつくづく感じました。
前回も今回も、皆さんのようなもの凄い体験というのはありませんでしたが、これが私で、私は私のやりたいようにやれば良いと、人と比べる気持ちが収まってきたと感じます。
また、日常生活とは違う3日間だったので、純粋にリフレッシュできたのと、合宿後の懇親会で皆さんと色々な話ができたのがとても楽しかったです。
この3日間は、人生が変わる体験をしました。
徹夜の瞑想によって、ぎりぎりの状況でしか決して本質は見えない(見ようとしない自分がいる)ことを知りました。わかってはいたものの非常に過酷で、普段と比べると内容はひどいものでした。しかしそんな状況だからこそ、びっくりするくらい多くの、深い学びがありました。ヴィパッサナーは結果が重要なのでなくプロセスが全部だと、本当の意味で理解できました。
食事の瞑想によって、味わうことの尊さを思い出しました。その時確かに、いまこの目の前の食べ物を食べていました。いつもよりはるかに少量にも関わらず、満腹感と満足感がありました。目の前のものを慈しみ、味わい、いただく行為は、こんなにも人を満足させるのかと愕然としました。今まで総カロリーや栄養素がどうとか、どうやら架空の概念だけを食べて生きて来たようでした。
食べるに関わらず、今まで現実をきちんと味わなかったことによってこぼれ落ちてしまっていた充足感がどれだけあっただろうか、と反省しました。今は、すべての感覚をなんだか愛おしく思えるようになりました。これが人間本来のあり方なのだと思いました。
合宿を終えた後で、3日間を共にできる師と仲間のかけがえなさを感じました。この素晴らしい機会を与えて下さった福澤先生には大変感謝しています。何度も差し上げた質問の中には的外れのものもあったにも関わらず、すべてまっすぐ誠実に答えて下さったおかげで、大きく成長出来たと思います。自分は師に恵まれて幸福だと思いました。
また、この素晴らしい場を作っていただいた仲間がいなければ、一連の体験を得ることは生涯あり得なかったと思います。最後の感想のシェアの時間、皆がそれぞれ色んな想いで瞑想していたことを知った時、自分の心が揺れたのが観えました。皆さまには感謝しかありません。本当にありがとうございました。また一緒に瞑想したいです。
ここまで書いておいて何ですが、私が合宿で得られた最も大きな財産は間違いなく『体験が重要』という言葉の重みを、体験をもって知ったことです。
よく観ると毎日は驚きと発見に満ちていて、無駄な時間、無駄な体験なんて実は一つもなかったのだと知りました。
おかげでいま、瞑想がとても楽しいです。いまや日常と瞑想に区別はないので、つまり毎日がとても楽しいです。
そう思えるようになったのは合宿の体験のおかげです。これを機に、もっと瞑想しようと思いました。
ヴィパッサナー瞑想を始めて3年過ぎました。年々気づきは深まり、物事に反応せず穏やかにいられる場面は少しずつ増えてきました。また同時に気づきが深まるほどに、自分の中で毎日何百回と悪い心(苛立ち、不安、欲、怠け、慢心・・・)が生じている様に気づくようになりました。
自分の心の奥底に苦の原因があるということが分かってきたのは進歩ですが、あまりの多くの不善心に圧倒されて、瞑想を続けたからって解決にならないんじゃないかとさえ思うようになりました。またそもそも瞑想に本腰になれない、いやなるつもりもない自分を自覚していました。
根本的な原因は「なぜ気づきが大切なのか、観察が大切なのか」についてまだ腹落ちしていないことです。「気づいたからって、観察したからって何がどうなるのさ」と。五蓋の一つ、「疑念」が生じていたのでした。これを五力の一つ「確信」に転換して瞑想に精進できるようになるためには「瞑想が、気づきが、観察がやはり大切なのだ!」と体験的に理解する必要がありました。
そこで瞑想合宿という場に身を置いて、どんどん生じてくる不善心にできる限り気づき、観察して自分がどう変わるのか見届けようと思って参加しました。
実際2日間の合宿は辛くて、体の痛みや眠気や飽きに飲まれることしきりでしたが、そんなでも効果は明確にありました。瞑想合宿の翌日には何か物事が起きても以前より静かにとどまっている自分を自覚しました。私生活、通勤、仕事などいろんな場面でそれを実感しています。階段を1段上がったら視野も1段分確かに変わった、という感じです。これは瞑想合宿というまとまった実践の場が無ければ得られない変化でした。
そして「気づきを保つこと、そして観察することが大切だ」という実感を自ら感じ始めています。
この体験的理解が、これからのヴィパッサナー瞑想に対する姿勢をより真剣なものにしてくれるでしょう。
だから瞑想合宿に参加して実に良かったと思っています。
今後も機会があれば、是非参加したいと思います。
合宿には今回が2回目の参加でした。今回印象的な体験がありました。
2日目の夕方、翌日の食事の買い出しのために、近くのセブンイレブンに向かいました。土曜日の夕方ということもあり、家族連れや休みの人などコンビニの中は大勢の人々で賑わっていました。そのざわめきとは対照的に自分自身は静寂の中にありました。外部の慌ただしさが、より一層自分の中の静けさを際立たせて、静寂を感じることができました。
夜を徹した瞑想については眠気と足の痛みと回想のまどろみの中でなかなか集中して瞑想が出来ませんでした。やはり日頃の習慣が大事だなと再認識しました。しかしながら定期的に訪れる食べる瞑想の時間が集中力を取り戻してくれました。
長時間の瞑想の中で、多くの雑念が訪れ、日常も雑念の時間の中にいることがいかに多いかを客観視することができました。
合宿の感想の共有会では参加者の皆さんの体験や課題や乗り越えのエピソードを分かち合っていただく大変貴重な機会になりました。
貴重な場をつくっていただいた福澤先生と一緒に静寂の場をつくった参加者の皆さん有難うございました。合宿を最後まで乗り切った自分も褒めたいと思います。
今回は3回目の合宿となりました。今回最も記憶に残ったのは2日目の夜の空腹感でした。日常では、空腹感がおぼえると、すぐに食べ物を口にして満腹になり、空腹感をじっくり観察し、感じることはありません。2日目の朝、昼におにぎり一個ずつしか食べず、夜も何も食べず瞑想を行なっていたため夜11時を過ぎた頃から強い空腹感をおぼえました。
最初はなんとなく不快感があり、空腹で辛いなという感覚でしたが、観察を続けていると次第に空腹そのものを感じきるような感覚を覚え、不思議と不快感のようなものは感じなくなりました。そして意外と空腹感はそれほど悪いものではないという感覚もおぼえました。
日常では本当に必要かどうか、それ以前にそもそも欲しているのかもわからない状態で、空腹感を感じると反射的に食べ物を口にしていることに自覚的になることができました。無自覚に身体を痛めつけている日常を見つめ直すいいきっかけになりました。
また個別相談では幼少期からこれまでの自分のエピソードを長い時間かけて引き出していただきました。当時は自分にとって非常に重要であったいくつかの出来事が、なぜかすっかりと記憶から抜け落ちていることに気づきました。理屈ではよくわかりませんが、この忘れている記憶が今の自分にとっても重要な意味を持っているのではないかと感じられました。
今回は3回目の瞑想合宿への参加でした。
2回目と同じ場所ということもあり、緊張するなどの気負いもなく、合宿会場に着きました。
食事については勝手がわかっており、多すぎない量の食物(レトルトごはん、煮豆、パン、豆乳など)を持参しました。
初日は集中して瞑想を行うことができ、短い睡眠もとれました。
2日目は眠気があり、集中が途切れることが多くありました。夜は眠気に逆らわずに11時過ぎには就寝して朝となりました。
食べる瞑想は4回実施し、いずれもよく噛み観察して食べることで空腹を感じることはありませんでした。
本来、自分に必要な食物量は通常の量よりも少ないことを感じました。
合宿から2ヶ月が経過し、より薄味で軽いもの(例:肉よりも豆や魚)をより多く食べるようになりました。
今後も日常生活において瞑想の時間を確保することと、日々の集中と気付きの時間を増やすことに取り組んでいきたいと思います。
2月の合宿を振り返って
まず、合宿前に沈黙の出発点にやっと立てたような気がして嬉しかった事は覚えていますが、その後がかなり大変でした。つまり私が自分について抱いているイメージ、他人、特に家族から言われてきた自己イメージがいつまでも黙っていませんでした。
良い悪いは別として、「友達すらいない、他人から信頼を得られない私なんて生きる価値のない最低の存在」「私みたいな怠け者なんて死んでしまえば良いのに」「私はなにも他人に与えることすらできない」「なんで○○ができないの!」「なんでもっと努力できないの!」などなど日々の生活や職場の場面で長年培ってきた自責の念が全く止むことはなく、心の耳を覆いたい位でした。
以前先生から指摘された課題「慈悲の精神の欠落」すら改善できることもなく漠然と時間が過ぎていき、ただ「社会に対してなんの恩恵も与えることのできない自身」に対する激しい憤りと罵倒を止めることができず、「沈黙」なんて遠い幻想、希望的概念でしかありませんでした。
そんな中、食事の瞑想の時だけは心のおしゃべりがピタリと止んで平和でした。今を全身で実感するだけで良かったからです。食べ物に対する感謝と、食べ物を味わうことができる一つ一つの体の細胞の働き、機能に心から感謝しました。味わうという場に、今という時間に感謝しました。本当に平和でした。そんな時、先生がくださった言葉「変化」と「変動」が心に刺さりました。
今までを振り返って思うことですが、(私の人生が仮に本当にあるとしての前提で)私の人生は「変動」の繰り返しでした。「今が未熟だから成長しなければならない。〇〇じゃ不足だから××すべき」の繰り返しでした。つまり、ゴリ押しでなんとかその場を乗り切ろうとする付け焼き刃みたいな事の繰り返しでした。
すなはち、その場限りの努力をして、確かに多少の成果はあるのですが、決して長続きはしないのです。それが私の理解する「変動」です。それに対して「変化」とは、一切エゴは介入されず、淀みなく進みゆく水の流れようなものとして認識しています。なんの期待、企て、スローガンもなく発生し、事がなされれば自然に消滅してなんの痕跡すら残さないような一連の流れと理解しています。そんな「変化」の前提で今までを振り返った時、「自分、私」がするりと落ちていくのを感じました。
これらは社会を生きていく上で必要不可欠かもしれませんが、必須事項ではないと感じました。全ての成り行き、流れを「自分、私」と関連づけて物事を見ていくのが一般的ですが、案外いらないかもしれません。もちろん社会生活を送る上での個人的責任は全うしていくつもりはございますが、もう「自分、私」に必要以上に関わるのをやめて、お役御免の指示をだしても良い時期かもしれないと思いました。そんな時、ふと「沈黙」がやってきました。それは思いがけなく、自然とやってきた「変化」でした。
多分これからも「自分、私」とのお付き合いで葛藤は続くとは思いますが、少しづつ距離をとっていくつもりです。
そして、「自分、私」の関わっていない「素のまま」「在るがまま」を直接体験していこうと思います。
以上が今回の合宿での感想でした。今まで読んでいただきありがとうございました。
これからも宜しくご指導ご鞭撻をお願いいたします。
今回の瞑想合宿についての感想ですが、参加者人数も限られており、アットホームな雰囲気で合宿に臨むことが出来ました。それと同時に、環境のなせる技なのか個人で瞑想を行っている時とは異なり比較的長い時間集中力を持続することが出来ました。
特に24時間連続瞑想は自分では思いもつかないものであり、一日中時計を見ることも無く過ごした事も初めての経験でした。この合宿に参加したから、いきなり瞑想が上達するといったことはないのでしょうが、このような経験は今後瞑想を行う上で役に立つと思っています。
ご苦労された事も多かったと思いますが、このような合宿を開催頂きまして誠にありがとうございました。
2021年10月の入門瞑想会からヴィパッサナー瞑想を始めて以来、毎月開催される実践瞑想会への参加を繰り返すうちに不安などの心のネガティブな感情を鎮めることができるようになった頃、福澤先生から瞑想合宿のお話をいただきました。
週末を使った2泊3日の合宿であり参加しやすいこと、そのうち1日は寝ずに瞑想するという他に経験できない機会であると感じたことを理由に、瞑想合宿への参加を希望しました。瞑想合宿に申込した後は、期待と不安(寝ずに瞑想できるかという恐怖)を抱えながら日々を過ごしていたことを覚えています。
瞑想合宿の初日に合宿場所(東京都葛飾区青戸)に着くと、合宿中のルール説明の後、夜7時頃から11時まで最初の瞑想を行いました。通常であれば長い時間の瞑想ですが、長い合宿期間の一部であるという意識からか、普段よりも集中して瞑想ができたと思います。
2日目は朝5時に起床し、朝と昼の食べる瞑想時間以外は、ひたすら立つ瞑想(深夜から朝5時までは歩く瞑想)を行いました。初日から瞑想に集中できていたからか、2日目は自分の内側を深く観察することができ、幼少期から現在に至るまでの経緯を再体験しました。
ネガティブな記憶を多く思い出し、それを観察することで、心の中に溜まっていたネガティブな思考・感情(心の汚れというのでしょうか)が多く解消されたと感じます。また、2日目の正午くらいに、7~8年ほど前に心の不調をきっかけに失ってしまった本来の自分の強さを発見し取り戻しました。これは瞑想合宿から約1ヵ月たった今でも自分の中に存在しており、今回の合宿での一番の成果であったと感じています。
短期集中して自分と向き合う瞑想合宿は、普段行う瞑想では到達できない深さで瞑想を実践できる機会であると思います。このような機会を作ってくださった福澤先生に感謝申し上げるとともに、多くの方が瞑想合宿に参加して良い経験をなされることを願っております。
この度は、人生初めての瞑想合宿を経験させていただき本当にありがとうございました。全国から瞑想参加の皆さんと一緒に、生活空間をともに、寝起きしながら過ごせたことは日頃、一人で瞑想に向き合っていた感覚とは、またちがった『人間同志の心のつながり』『共に励まし合い、向き合う力』『一生懸命に取り組むこと』など、20代までに体験した感覚を想い出すきっかけをいただきました。
初日の夜から〜翌朝までは、心身ともに余裕があったのですが、翌日から〜翌朝までの眠らない長時間瞑想は、本当に辛かったです。激しい運動をした理由でもないのに、身体のあちこちに痛みが湧き起こったり、幼少からの実家での記憶(特に晩ごはん時の映像)が無限に浮かんできて、悲しかったころの想い出、あらゆる懐かしい感情を味わいました。
段々と意識は深まり、日頃には浮かんでこない感情にも沢山きづくことができました。食べるという行為が、本当はシンプルで原始的だったこと。いかに現代社会が、装飾的、娯楽的でありビジネスとして作られた価値観、習慣だったことにも気づきました。
瞑想合宿を終えて日にちが経ちますが、毎日のスピード感の中でも、学びいただいたことを一つでも活かし、いかなる時でも気づきを持って、静かな安らぎの心を大切に生きていきたいと想います。先生、仲間の皆さま、どうぞ今後とも宜しくお願いいたします。
【食べる瞑想による気づき】
今回合宿で食べる瞑想を本格的に経験しました。おにぎり1つを1時間以上かけて食べました。おにぎりを見ることに集中し、口元までゆっくり持っていきにおいに集中して、口を開け、一口分だけ口に含み、しばらく舌で感触を確認しました。その後咀嚼していくと唾液が染み出してきました。50回を超えて咀嚼し味と感触の変化に集中しました。
そして最後にごくりと固形物を飲み込むと喉を通過していく感覚がわかり、胃の中に食べ物の存在感を感じました。
合計4食の食べる瞑想を通じて食べるという行為の解像度が非常に上がりました。これまでの食事はとにかく食べ物の味を求め、本当に必要としているかもわからず無自覚に食べ飲みを繰り返していました。結果身体を傷つけていたと思います。
今回体験した、自動化していた食べる行為に対し、気づいて観察することは、食べる行為だけではなく、思考や身体の変化など自分の内側への気づき観察にも応用をしていけると思いました。
【長時間の瞑想による気づき】
長時間に渡る瞑想で、24時間を超えたあたりから、足や腰に耐えられないほどの痛みを感じ始めました。その後夜を徹した瞑想では耐えられない眠気を感じ、最後には思わずうとうとを繰り返してしまいました。結果、眠らないという目標は達成できず悔しい思いをしました。しかし失敗らしたものの、ぎりぎりまで苦しさと向き合うことで、普段辛いことに向き合わず避けたがる点や、嫌なことを後回しにする点が、自分自身の課題であることに気づくことが出来ました。
初めての瞑想合宿ひたすら瞑想をやって、途中で疲れて、「合宿終わって帰ったら何をやる」って考え始めたそれに気づき、そう考えた自分にびっくり私、なんで先のことで飛ばしているの?
仕事も何でもかんでも置いといて、瞑想に集中して、瞑想しに来たでしょう普段も毎日瞑想をやっていますが朝1時間くらいやって、その効果は半日も持たないです。
昼、夜も少し瞑想をやっているですが時々逃げたい、分けわからない気持ちとは向き合いたくないときも多い~
今回の瞑想合宿でちゃんと自分と向き合いたいと思って、本当の自分を見つかりたいと思ってきたなあそれでまた瞑想に戻りました。
瞑想2日目の夜から、いい状態に入って、最近抱えてた課題、悩み等の「答え」が次々と出てきて、びっくりして、嬉しかった。そして、初日に書いた質問「ありのままの自分でいられないの理由」の答えも大きな半分を見つかりました。
それは、誰かの認めや褒め言葉を心の底からずっと求めていたから先生でも、上司でも、友達でも、初対面の人でも
他人に良い印象を残したい、認めてほしいから、良い自分で居られなければならないそれで結構疲れます~ありのままにいられないやめます!誰の認めも褒めも求めない~
もし、この世に自分一人しか残らなかったたら、自分は何をやる今やっている、あるいはやろうと思ったことをやる?やらない?誰も存在していないように、他人の目線や評価を気にせず、ありのままで自分を生きていきます。(自分を傷つけない、他人を傷つけない)
また、食事瞑想で舌の働きにびっくり食事をするため、あんなにマメに働いてくれていることにびっくり、感動、感謝
口の中は本当に精密な機械のように、食事をするとき、何かの作業をやっているような感覚がして面白かった。
サラダを噛んでいる自分は牛みたい、その映像が頭に浮かんだでも、サラダは本当に美味しい~草は本当においしい。ただ一つ、液体の状況まで嚙んで飲み込むことが難しかった、すごく抵抗がありました。
吐しゃ物のような感覚が強くて、液体まで噛んだら、どうしても飲み込みたくなかった合宿終わって翌日、自宅でも食事瞑想をやってみました。目をつぶしたまままた、新たな食事体験ができて、食べ物に対し新しい理解ができました。今度の合宿はこれをやりたい~
また、真っ暗、暗い環境が一人では居られない~寝ることもできない今回は藤原さんの真似をして、夜にタオルで目を隠して瞑想をやってみました~最初は本当に真っ暗で、びっくりしてしばらくしたら、すごく美しい静かさを感じました。真っ暗に対し、新たな認識ができて良かった
また今度の瞑想合宿に参加したいです。よろしくお願いいたします。
一緒に合宿に参加させていただいた皆様、この度はお世話になりました。今回の合宿で得たものを全て言葉にすることは難しいですが、できる限り試してみたいと思います。
僕はヴィパッサナー瞑想を実践し始めてから一年ほどになります。瞑想を始める以前と以降で僕自身様々な面で大きく変わったと思います。やればやるほど奥深さを感じ、一定期間ずっと瞑想する機会があればよいと思っていましたので、今回の合宿は楽しみにしておりました。
合宿では様々な気づきや学びがありましたが、今回は2点に絞って書いてみたいと思います。
一つ目は「食べる瞑想」の再発見です。初めて瞑想会に参加した時に、カレー屋さんで食べる瞑想を教わりました。「なるほど、食べるという行為も瞑想にするのか」と思いましたが、実際に瞑想しながら食べると心は落ち着きました。それからしばらく自宅で食事する時も実践するようにしていましたが、いつの間にかその習慣も消えてしまいました。
今回の合宿では4回の食事で、それぞれ一時間半かけて食べる瞑想をすることができました。いつもの3分の1ほどの量の食事をいつもの5倍ぐらいの時間をかけて食べました。その時、普段食事するだけでどれほど「貪り」や「急ぐ気持ち」、「もっと食べたいという気持ち」の嵐の中、注意散漫で味わずに食べていたのかを気づけました。かなり衝撃的な体験でした。「食べる瞑想」はぜひ続けて習慣にしていきたいです。
2つ目は長時間瞑想することの効果です。2日目は眠らずに瞑想しました。これがなかなか大変で、座りながら一瞬意識を失ってしまったりしましたが、なんとか朝まで起きていることができました。
眠たいけれども意識を保ち、自分の身体や心に起こる感覚に気づきつづけるということはとても興味深かったです。通常の意識状態では起こらないような感情、状態になり、長い間アクセスしていなかった記憶や感情と邂逅することができました。興味深いのは、僕はそれらを思い出そうだとか、得ようとは意図していなかったことです。僕がしていたのは、ただただ気づいているということでした。
合宿の初めに「落ち込みや鬱を改善したい」という目標を掲げましたが、合宿を経てそれらの感情との付き合い方が変化したようにも感じます。「鬱をなんとかしよう」というのではなく「ただ鬱を見ている」という感覚をようやく掴んだような気がします。
3日の間、ただ家の中にこもって気づいているという一見するとおかしな合宿ですが、僕にとってはとても貴重で有意義で、濃密な時間でした。改めて、福沢先生、参加者の皆さん、ありがとうございました。
【瞑想会の感想】
・合宿という場を借りて長い時間瞑想に臨む努力をしてみることで、普段の短い瞑想では体験できなかった気づきと雑念を感じることができた。そして長い時間雑念に揉まれることさえも、気づきを深めるための通過点として意味があると思えた。
・長い瞑想の中で自分の心の底にある不善心が繰り返し出てくるので、それをよく自覚することが出来た。
・普段しない食べる瞑想を1日2回、2日に渡り真剣にやると食べる瞑想にも多くの気づきがあると分かった。そして日常に戻っても食べる瞑想を実施しやすくなった。
・自分が疲れ、痛み、眠気、雑念で折れてしまった時も、周りの参加者が頑張っている姿に励まされた。自分一人では絶対に出来ない努力をさせてもらえた。
合宿前は、「どんな経験が出来るだろう」という期待(楽しみ)がほとんどで、徹夜をした経験が僅かしかない私にとっては「寝ないで瞑想は無理だろう」という気掛かりが若干程度ありました。
実際に参加してみると、最後まで眠気に襲われることなく、最終日の休憩時間も瞑想で終わりました。ただ、意外にも「寝ないで瞑想できた」という驚きや感動は、さほど生じずに、「ふーん、こんなものか」という淡々とした感情が残りました。
全員で最後の感想を発表した際、あるかたの発言を聞きながら「確かに、背景も素性も分からない人達と、いきなり会って2泊もするというのは非日常だよな」と気づかされたものの、その発言を耳にするまでは、違和感なく過ごせていて、
特に非日常だと感じなかったことは、思えば驚くべきことです。
最初に目標を聞かれて焦りましたが、「合宿で何かを得よう、変わってやろう」などと思うことなく、「何が起こるのかな」程度で参加したのが、かえって良かったのかもしれません。
週末はありがとうございました。
長時間の瞑想は初めてなので、自分がどこまでできるだろうと思い、やはり何度か寝てしまいましたが、とても良い体験となりました。
私は、気づきや何かが劇的に変わったということはありませんでしたが、今までで一番集中できました。以前座禅をやっていた時期があり、いつになっても集中できないので、私の脳の作りのせいなのか?と思っていましたが、
今回は変化を感じられました。
瞑想後の発表で私は2番目で、その後の皆さんの感想を聞いていて思ったことは、気づきは人によって違い、感じ方もそれぞれなのかなと言うことです。「気づき」という、悟りの様な絶対的な真実のようなものがあると考えていましたが、そうではないようだ、と思い始めました。
眠いのと遠方なので、懇親会は参加しませんでしたが、また次回よろしくお願い致します。
3日間の合宿、大変お世話になりました。短期間でしたが、瞑想に集中することによって、いくかの変化を体感しました。
①呼吸がゆったりとなめらかになっていく
普段、呼吸が浅く、速くなりがちで、どういう呼吸が自分の普通の呼吸なのかもわからなくなっていますが、瞑想を続けることによって、呼吸がゆったりとなめらかに連続的になっていることに気付きました。これだけでとても心地良く、瞑想を続けていたいと感じました。
②感覚が敏感になっていく
感覚が研ぎ澄まされるまでは行きませんが、段々と敏感になって行き、普段では感じられないような気付き力が上がって行く感覚が得られました。これが瞑想をさらに助けてくれるものと自覚できました。
③②の一環として味覚も敏感になっていく
味覚も敏感になっているのだと思いますが、食べる瞑想での食事がより美味しく感じました。ただし、味覚を感じていると、それは微細な甘味や苦味だけで、普段食べ物の味と思っているものは、ほぼ香りなのだということに気付きました。
合宿の最初に、『極力、自分と他人を許せるようになる』と意図しました。許さないことが苦痛の原因になることに気付き、極力ですが、ヴィパッサナー瞑想によってありのままを眺め、それを受け入れられる力を向上させたいと考えたためです。
それを意図した翌朝、トイレに行った際に他人が使用中でイラッとした自分がいました ^^;
全然許していないじゃないか!と思いきや、一息置いて、イラっとした自分に気付くことができていましたので、少しは意図が進歩したようです ^^;
