ヴィパッサナー瞑想

ヴィパッサナー

ここではヴィパッサナー瞑想についてできるだけ簡単に説明しています。より詳しくお知りになりたい方は瞑想会にお越しください。

ヴィパッサナー瞑想とは

ヴィパッサナー(Vipassana)瞑想は、今から約2500年前にブッダによって発見されました。ヴィパッサナー瞑想を行うことによって、精神的な穢(けが)れがどんどんなくなっていきます。そして最終的には純粋な意識がわかるようになります。

ではヴィパッサナー瞑想とはどんな意味なのでしょうか。それを知るには、まずこの言葉を分解してみるとよくわかります。VipassanaをVi+passanaに分けると、「Vi」は「別の見方」という意味になります。「passana」は「あるがまま」という意味になります。ですからVipassanaで「あるがままを別の見方で見る」という意味になります。

では「あるがままを別の見方で見る」とはどういう意味でしょうか。私たちがあるがままの現実と感じているものには、別の見方が存在するということです。その別の見方はあるがままの現実を文字通り教えてくれる見方です。このあるがままの現実の変化を確かめる力を智慧(ちえ)と言います。ここで言う智慧とは一般的に使う知恵とは意味が異なっています。

私たちは普段、たくさんの情報や人、物に接触しています。それらとの接触は私たちの心に大きな影響を日々与えています。
例えば、好ましいと感じる情報や人、物に出会っても心は変化しますし、逆に、嫌だと感じる情報や人、物に出会っても、心は同じように変化します。

このように外界との接触によって、心は変化を繰り返します。その心の変化によって心が揺さぶられます。心が揺さぶられるとき、私たちが生まれてから今日まで心に溜め込んだたくさんの汚れが、水面に泡が浮かび上がるように心にも浮かび上がってきます。それは欲や怒り、不安、疑いといったものです。この汚れによって人は苦しむのです。

ヴィパッサナー瞑想は、今、この瞬間のありのままの現実の変化を観察し続けることで、外界からの接触に対して、心が揺さぶられることを予防します。またすでに心にある過去の記憶や思考などから発生する怒りや欲に対しても、それらを防御し、消し去ることができるのです。

そうして今まで心に溜めた穢れはどんどんと浄化されていきます。最終的には全く穢れがなく、純粋な意識がわかるようになります。純粋な意識になれば、もう怒りや欲はありません。正しい道を歩み、ぶれることなく人生を歩み、より効果的な生活が送れるようになります。

ヴィパッサナーと瞑想

正式にはヴィパッサナーだけで意味が通りますので、ヴィパッサナー瞑想とは言いません。ただ、一般の人にもわかりやすくするためにヴィパッサナー瞑想という言い方が広く使われています。そもそも瞑想とは「内に目を向ける」という意味があります。ヴィパッサナーという言葉にこの瞑想の意味合いがすでに含まれています。

従って胡座をかいて、目を閉じて、じっとしていることだけが瞑想というわけではありません。瞑想とはいつも常に行うことができるものであり、ヴィパッサナー瞑想の進んだ実践者はいつもヴィパッサナー瞑想をしています。逆に言うと、いつもヴィパッサナー瞑想をしていないと心の浄化はおぼつかないのです。それくらい世の中には自分の心の汚れを増やすものがたくさん溢れているからです。

例えるなら私たちはいつもゴミ拾い集めているようなものです。それも部屋を綺麗にするためのゴミ拾いではなく、部屋にゴミ溜め込むためのゴミ拾いです。ゴミを進んで集めて心に溜め込んでいるのです。ヴィパッサナー瞑想は心に溜め込んだゴミを全て捨てて、綺麗に清掃します。綺麗な部屋が清々しいように、綺麗な心は平安をもたらします。

ヴィパッサナー瞑想とマインドフルネス

最近、欧米ではマインドフルネスが流行しています。マインドフルネスは、ヴィパッサナー瞑想の一部分の名前を変えて、広く一般の人向けに紹介したものになります。ただ実際には似て非なるものです。アップルコンピューターやマイクロソフト、Googleなどの有名企業がマインドフルネスを積極的に取り入れ、社員の心に落ち着きを与えています。

なぜヴィパッサナー瞑想が広まっていないのか?

この心を綺麗にすることができるヴィパッサナー瞑想は、ブッダが発見されましたが、現在は世界中に広まっているとは言えない状況です。伝統的な仏教国であっても正しくヴィパッサナー瞑想を実践している人がかなり少ないためです。またヴィパッサナー瞑想を正しく理解するには実践が不可欠であり、その理解は人によっては難しくもあります。そのため瞑想会等で指導者の指導が行き届かなかった場合、参加者の理解が届かないということもあります。

また精神的な汚れをなくすヴィパッサナー瞑想よりも、そもそも集中力を高める瞑想(サマタ瞑想など)の方が人気があるのが現状です。集中力を高めることで生産性を上げたり、不思議な体験をすることは可能かもしれませんが精神的な汚れはなくなりません。例えば、箒を使って部屋の埃を隅に払っても、その埃をちり取りで取り除かなければ部屋は綺麗になりません。部屋の真ん中が綺麗でも、部屋の隅には埃が溜まってきてしまい、いつかその埃は風に舞ってまた部屋全体に散らばってしまいます。

それと同じように集中する瞑想では、心の表面では一見すると綺麗なように見えますが汚れは隅に追いやっているだけで消えてはいないのです。現在の世の中の状況を見てみますと、今の世の中に必要なのは精神的な汚れをなくすヴィパッサナー瞑想であるというのが私たちの考えです。ヴィパッサナー瞑想を正しく伝えることで世界中の人々の心が平安であることを願っています。